日記12/22

 そもそも文章を書くという行為自体を(数学的な活動を除けば)抑えるようになっていて、それは文章を書く行為自体が生来の性格の発露に過ぎないという諦めの感覚、及びそのような発露は基本的に虚ろなものしか伴っていないという予感に基づいている。私の文章はおそらく注意深く読ませることに適しておらず、可能であれば(勿論この記事も)「三行」程度に納めることができれば理想的と感じる。発露については、例えば僕が他人に素振りやシャドーピッチングをしているのをよく咎められるように、机の上におけるそれが文章を書くという行為として現れているのではないか、という予感が該当する。文藝のサークルにいた頃と比べると、僕の創作活動(と自称しているもの)はほとんど短文になっていて、それは日記とも小説ともつかぬような体裁を取っている訳だが、それはやはり長文を欲するような連綿とした思索がそもそもないからだと思っており、いっそ詩を始めようかと考えているが、今は数学を続けること以外に余裕がない。といったような鬱憤を発散する会場として再びSNSを利用する事になる。