日記10/2

 さて、大学までの通学に往復で五時間程掛かる実家に帰ってきてから通学中に「和名の由来で覚える372種 野と里・山と海辺の花 ポケット図鑑」を読むようにしている。子供の頃から渾名で呼んでいた(勝手に命名していた)花の正式な名称を知ると「俺の方がセンスがある」「それはない」と思ったりもするけれど、中には言い得て妙というか、身勝手には、「この名前あってこそ、この花がある」と感じ入るほど素晴らしい名前もある。空想の花を指し示していたはずの素晴らしい名があれば、きっとその名を体現する花がどこかで咲いているようにも思える。こういう「何でも起こっている」という類の考えは嫌いじゃない。先述の本に載っている花の中では雪餅草と座禅草が好きで、前者は美術館の庭園で咲いていたのを館員の方に見せてもらったのがきっかけで好きになり、後者は写真でしか見たことがないけれどもどこか建造物然としているのが良い。思わず足を止めたくなるような。ホトケノザも好きだ。祖父の家の今は何も育てていない畑一面に花が咲いて淡いピンクに染まると春だな、と思う。余談だけれど、神代植物公園の温室には「ムニンフトモモ」という植物があったと思う。体の部位をその名に冠する植物を展示したらバラバラの死体がその部位に対応する花の箇所に埋まっていたなどというホラーがあったら嫌だ。

 数年前から苔の図鑑をたまに開くようになって、散歩するのが更に楽しくなった。苔が街中にこんなにありふれていて、こんなに多様性に富んでいるとは知らず、図鑑を読んでから散歩の価値観が変わったと言っても言い過ぎじゃないと思う。多分、たまたま僕が苔が好きなだけで、例えばファッションに興味を持っている人は、同様の理由で人が多いところはとても楽しいんじゃないか?と考えたりする。*1父は車が好きで、PAで人の車をしげしげと眺めていたりする。色んな場所で人それぞれの純粋な楽しみがあって、そういう喜びを分け合えたら幸せだと感じる(数学に対してもそう感じている、と思う)。とにかくは、これから花の本を読みながら散歩したり、紅葉狩りをするのが本当に待ち遠しい。

 昔から誰かと一緒に散歩していて楽しいと思えるような人になりたいという思いがあって、そのためにはまず会話のキャッチボールを成立させないといけないのだけれど、何というか、自分は(野球をちゃんと続けていた時もそうだけれど)コントロールが悪くて、軟式野球特有の反応に困るショートバウンドをよく放ってしまう。たまに会話で無意識にそこにいない知り合いを長々と話題にしてしまうことがあり、これは反省したい。せっかくの会話にそこにいない人について長々と話をするべきではないというか、話が宙ぶらりんになってしまう。

 蛇足として、数学については、セミナーの勉強にこれからは重点を置きたい。代数幾何の、その言葉を用いた議論については慣れたと思いたいけれど、個別の技法については未だ一冊の本すら満足に理解していない 

 今日は本屋で明るい記憶喪失の2巻を買った。面白い!

 

*1:なので人間はちゃんとそれぞれの数学を纏っていてほしい、とは思わないけれども