日記1/23

twitter:思うところなく再開する。

・苔:見かける苔の名前は大体ある程度はどういうやつか分かってきた!

・きらファン:俺の周りの人全員辞めてない?

・導入:思い込みが激しい自分のような人間が個人的な心情に関わる文章を書くと文章をタイプして/目で追うということになって、二度も自分に刻み込むような形になって非常に宜しくないという感覚を抱いている(これは発言する際も同様だと思う。声を発する/それを聴く)ので、文章を書く際は切り離すための、脱皮するような、つまりは文字通り「書捨てる」ようにするべきだとこの頃思うようになっているが、そうすると以前書いたような虚ろな文章が出来上がって宜しく無いし、こういう「文字が悪い」という自分の態度には我ながら苛ついているので、余り考えないようにしようと思う。

・懐古:そういえば一年生の頃、帰省すると家では父親が同僚たちと釣った魚を焼いていて、僕もそこに交じって夕食を共にすることができた。小さなテーブルを囲んでどうしたらもっと釣れるか、次はどこに釣りに行くか、等を年齢が全く違う(父が最年長だったが、一番下は確か新卒の方だった)人が熱心に語り合うのを見て数学もこんな風に出来たらいいなと思っていた。昨年研究室に配属され、先生方を含め大人数と議論することが増え、あの時に近い雰囲気で数学が出来ることはとても幸せだ。その頃の自分は「あの人は何年生にどの本を読んだ」というような言葉を耳にして焦っており、読めるはずもない専門的な教科書をたくさん抱えて実家に帰っていたが、ああいう焦りは(今となっては全く感じないが)他人にもよくあることなのだろうか。その時の僕は、極端な言い方をすれば皆が高校まで同じことを学んでいるのにどうしてあの年齢でこれこれの本が読めるのだろう、といった思考をしていたようで、大変恥ずかしい。こういう思考から自分がいかに自ら(精神的にも、物理的にも)世界を狭めていたかがよく分かるが、高校生までこういう考え方で、数学がとても好きとは言い難く、また相対的に得意だった訳でもない(勿論大学に入ってから学ぶとされている数学の各分野については微塵も知らなかったような)自分が数学の道に進んでいるのは一体どういう訳だ。でも数学は大好きだ。その時の自分には感謝したい。

・専門以外:幾何的群論の授業を受けてから春休みに以下について学びたいと考え始めた:Bass-Serre theory、Culler-Vogtmann Outer space、Mapping class group。写像類群については以前Birmanの本で勉強したが、近頃「A Primer on~」で詳しく学びたいと思っている。自由群の外部自己同型群に関しては面白い問題がいっぱいあると思うのでOuter spaceはめちゃんこ勉強したい。

 あと統計学の入門書/pythonの入門書を通学中に読んだ。

・専門(?):最近(仮定付きで)arithmetic schemeのπ_1が副有限群論の意味で小さいという定理の証明を読んだ。Hermite-Minkowskiの定理の一種の高次元化になっていて(証明にはHermite-Minkowskiを用いる)面白い。位相的に有限生成かどうかは結局有理数体のの有限集合の外で不分岐な最大代数拡大のGalois群が位相的に有限生成かどうかが問題だけれども、これは未解決(Cohomology of Number Fieldsに詳しく書いてあった気がする)。セミナーの予習は難しい。。。何とか少しずつ這いながら進んでいる感じです。。。

 

・一番言いたかったこと:しゅうかちゃんがガァララの肩を抱き寄せるシーンやばすぎへん?

・二番目に言いたかったこと:気を整え 拝み 祈り 構えて 観る 2年が過ぎた頃 異変に気付く 一万回citrusを観終えても 日が暮れていない

 

日記12/22

 そもそも文章を書くという行為自体を(数学的な活動を除けば)抑えるようになっていて、それは文章を書く行為自体が生来の性格の発露に過ぎないという諦めの感覚、及びそのような発露は基本的に虚ろなものしか伴っていないという予感に基づいている。私の文章はおそらく注意深く読ませることに適しておらず、可能であれば(勿論この記事も)「三行」程度に納めることができれば理想的と感じる。発露については、例えば僕が他人に素振りやシャドーピッチングをしているのをよく咎められるように、机の上におけるそれが文章を書くという行為として現れているのではないか、という予感が該当する。文藝のサークルにいた頃と比べると、僕の創作活動(と自称しているもの)はほとんど短文になっていて、それは日記とも小説ともつかぬような体裁を取っている訳だが、それはやはり長文を欲するような連綿とした思索がそもそもないからだと思っており、いっそ詩を始めようかと考えているが、今は数学を続けること以外に余裕がない。といったような鬱憤を発散する会場として再びSNSを利用する事になる。

 

 

日記11/30

  特に何もなく最近思うこと:自分は旅(または長距離の移動)が好きだというより、それによって引き起される衝動的な内省を望んでいて、たちの悪いことに自分の内省は移動によって引っ張られる形のみ起こることを今までの人生経験から悟りつつある。こう表現すると言い過ぎだが、(昔からよく人に自意識過剰が過ぎると注意されるように)全てが鏡の様に思えて、旅をして知らない地方の知らない人を喋るとき頼りにするのは自分が持っている経験で、はじめは他人との意思疎通の側面より自分の内面を深め続けるものなのではないかとさえ思えてくる。そういうことを考える度に自分はSNSはおろかインターネットそのものには全く不向きな性格であることを痛感せざるを得ない。今までの数々の強い拒否反応は他人から見れば理不尽であれ自分にとっては非常に納得できる形で現れており、例えば僕は文章というものは何が書いてあるかより発音した時の音が滑らかかどうかが(もっと過激に言えば、何が書いてあろうと音を優先して理解すべきと考えているぐらい)大事だと思っているが、多くの人はそうではない様な気がする。滑らかな文章はまず(それを口に出そうと前々から考えていない限り)口にすることが出来ない。口に出来ないということは、つまり、(ここで飛躍)、綺麗な発音がされる文章にはたいてい良く練られた冗談が書いてあるんじゃないか、と思える。やりたいこと(やるべきこと、なされるであろうこと)については多くの人はわざわざ音を整える必要を感じていないはずで、綺麗とは言えない音の文章を読んだ時はその人の気持ちをある程度推し量る(妄想する)ことが僕にとっては自然であり、ここで非常に強い拒否反応が起こることがある。なお、上の冗談は創作を含む意図で用いている。私はそういった種々の(おそらく他人からすれば強い)前提を設けており、それが度々軋轢を起こすこともなくはない(あまり記憶にありませんが)。結論としては、私は大きく綺麗な川よりは、落ち葉の堆積する様な小さな小川の溜まり、それもホトケドジョウが棲んでいたりする様な、や、地元に点在するいつからの水とも知れぬ農業用溜池の方が好きだ。自分はそういった土俗に縛られています。

 最近はそういうことばかり考えている。題は最近、地元で早朝からサイクリングすることがあって、山を取り巻く朝霧と野焼きが交わっている光景が非常に印象に残っていたので、そういうことです。一面真っ白で、焼ける匂いが記憶に残りました。それが今回の内省を引き起こしているというオチ。

 後こう言う「思考の一人歩き」は大変危険だと感じるので控えたい。

日記10/10(特別編:霧ヶ路紀行)

 昨日から今日に掛けて、早朝の霧と雲海で有名な海沢に出掛けた。海沢という地名は内陸県の埼玉にあって非常にユニークだけれど、この海は雲海のことを指していて、沢の方はというと嵐山(らんざん、と読む。念のため)、玉川、小川町、東秩父と流れる槻川の源流域に集落があったことにちなんでいると思う。時の流れとともに集落はだんだんと下流域に移動したため、今は川に沿って家が数軒ごとに点在していて、コンビニはないので定期的にやってくる移動販売と、少し遠いが「道の駅ひがしちちぶ」まで行かなくてはならない。

 槻川沿いを歩いていると、沿道にコスモスがちらほらと咲いていて、すっかり枯れた彼岸花が茎だけ残っている。骨格だけの紫陽花にも少し花が咲いていた。「槻川を綺麗にする会」が作ったらしい花壇にはやはりコスモス、そして隅にコルチカムとシクラメンがにゅっと咲いていた。茂みの奥からはカワセミの鳴き声が聞こえてきたが、霧のため姿は目視できなかった。先着の釣り人を数人見かける。西武乳業の青いベンチが特徴的なバス停の名前は「霧ヶ路」。人家と人家の間に細い道が幾つもあり、その奥にまた人家があるので、これが地名の由来かと思われる。どの人家にも家紋付きの立派な蔵があり、肌寒い秋の早朝だというのに(そして標高もそれなりにあるというのに)老人が白い息を吐きながら半袖短パンでダンベルを持ったまま突っ立っていた。また、やはり過疎化が進んでいるからか、中には家ごとアレチウリに呑み込まれてしまっいるものもあった。

 とりあえず散歩して過ごそうと決めていた。Googleマップを見る限りでは順調に歩けば今日中には水源の近くまで辿り着くはずで、山道前に親戚が採算度外視の余生の趣味として民宿を営んでいるので、そこに宿泊させて頂く予定になっていた。僕とその親戚は僕が幼い頃に曽祖父の葬式でいちど会ったきりで、あちら方は余り行事に積極的に出向く方ではないのと、僕が実家を出たこともあって会う機会がなかなかなかった。祖父曰く(その親戚は祖父の弟なのだが)、昔から物静かで何を考えてるかはわからなかったが、九人兄弟の中で一番頭が良く、博士号まで取得した後になんらかの縁を頼って静岡の私立高校で教師を務め、十年ほど前に定年退職して海沢に移り住んだのだそうだ。祖父はいつも兄弟の話をするときはどことなく自慢気なのだが、その弟の話をする際は特に嬉しそうに話していたので、兄弟の中では相当優秀だったのだと思う。静岡に行ってからは余り実家に帰ってこなかったとのことだったので、祖父の中での弟が昔の聡明で病弱な少年のまま残っているのかもしれない。

 さて、その日は予定どおり川沿いを延々と歩き、目的の源流地点を指し示す看板までたどり着くことができた。とにかく霧は晴れることがなく、ある人のブログでは源流地点を進んだ辺りから見下ろす集落は素晴らしいとのことだったが諦めて引き返すことにした。道中、沢沿にちらほら真っ白いアゲハ蝶大の蝶が弱々しく舞っているのが印象に残った。素手でも捕まえることが出来、人に捕まっても我此処に在らずと言った風で、放してやっても一分は手のひらでじっとしており、やっと弱々しく飛び出した。人差し指には銀とも灰色とも付かない暗めの煌めきを放っていた。

 また印象に残ったのは行き交う*1人々の表情と会話だった。表情は霧のせいかどことなく翳って見え、会話は非常に曖昧で、当事者間以外には通用しない指示語ばかり。僕の地元にも「赤の他人に会話をむやみに聞かせるべきではない」という了解はあるが、それにしてもこの雰囲気は少しばかり異常だ、と感じた。典型的な限界集落なので、子供の姿は一人も見なかった。

 一見すると人家と見分けのつかない、入り口にでかでかと木彫りで「雲散霧消」と書かれた看板のある民宿に着くと、外で親戚の方(此処で名前を出すわけにはいかないので、以降は七男と表記する)が吊るし柿を作っていた。僕を見つけるや否や、七男さんは僕に「こんなしっけてちゃ柿作っても意味ないわなぁ」と無理やり笑みを作ってお茶を淹れてくれた。

 民宿と言っても部屋を貸しているだけ、という風で、七男さんも久しぶりの客だというので祖父の話から想像される寡黙な姿とは違って饒舌に海沢に関わる様々な話を聞かせてくれたが、終始表情は変えなかった。和室に通されると、埃を被った蝶の標本箱を見つけたので尋ねて見ると、「昔、そういうのが趣味だった時期もあったかもしれない」と答えてくれた。そこで先の幽霊のような蝶のことを思い出し尋ねてみると、七男さんは一瞬はっとしたような顔になって、その後すぐに元の無表情に戻ると、「その蝶は難しい」と言った。

 どうやらその蝶は非常に「脆い」らしく、標本には向いていないのだそうだ。しかも、死ぬと直ぐに翅の色が濁るらしい。最も、僕はもうそういうのやらなくなったから、と七男さんは言ってから、「その蝶ね、霧がある時しか現れないんだ」と教えてくれた。もしかしたら新種かもしれないけど、やはり七男さんはもう興味がないようだった。現時点でも、その蝶の名前は調べても出てこないので、本当に新種なのかもしれない。

 お風呂と夕食(山菜天ぷらそばと手作りのプリン)を頂いた後、寝る前に再び七男さんと話したが、その際「もしかしたらあの霧は蝶の鱗粉なのかもしれんね」とボソッと呟いていたのがやけに印象に残った。祖父からの言伝で、たまには曽祖父の墓参りでもなんでもいいから帰ってこいと言っていたことを伝えると、七男さんは少し不機嫌そうな表情になり、「実はね、長いことあっち*2もう覚えてないんだ、申し訳ないんだけど」とぶっきらぼうに言った。それから畳み掛けるように、「あんまり親戚づきあいとか、人付き合いとか、そういうのが苦手なんだ。でも此処はいいよ、みんな霧とかで顔がよく認識できていないからかな、人付き合いが曖昧なんだ。ここら辺の人はボケるのが遅いって言われてて、県の認知症予防のモデルにもなったらしいんだけど、なぜかっていうとみんな初めっから記憶が曖昧なんだよね。忘れるも何もないよ」というふうなことを言った。もしかしたら宿泊するタイミングが良くなかったかもしれない、と思い、とりあえず直ぐ寝床に入った。

 次の日、早朝に目が醒めるとやはり霧が立ち込めていた。作りかけの吊るし柿が縁側に放置されていて、滴る結露で濡れてしまっていたのでそのことを朝食後に伝えると、七男さんは「あーれ、作ったんだっけ、そういえば」と言ってまた無理やり笑っていた。帰る際に、七男さんは祖父に宜しく伝えてくれ、そのうち帰るとも言っておいてと頼まれたが、僕には到底帰るようには思えなかった。今日はひどく暑く、川沿に下り始めると直ぐに霧が晴れた。そういえば、海沢に霧がよく掛かるのには地理的な要因もあるらしい。川に沿ってあの蝶を探したが、道の駅に着くまでついに見つからなかった。次にあの場所に向かおうと思った時にはもう何もかも無くなっているのかもしれない、と思うような、今も記憶が霧掛かっているように感じていて、そして次に七男さんに会うときはおそらく彼の葬式になるであろうと予感するような(不謹慎極まりない)、そういう短い旅行だった。

 というのはフィクションで、大学の文化祭の手伝いとセミナー予習であっという間に三連休が終わっていました。

 

 

*1:と言っても数人の地元の住民としか会わなかったのだが

*2:静岡のことと思われる

日記10/2

 さて、大学までの通学に往復で五時間程掛かる実家に帰ってきてから通学中に「和名の由来で覚える372種 野と里・山と海辺の花 ポケット図鑑」を読むようにしている。子供の頃から渾名で呼んでいた(勝手に命名していた)花の正式な名称を知ると「俺の方がセンスがある」「それはない」と思ったりもするけれど、中には言い得て妙というか、身勝手には、「この名前あってこそ、この花がある」と感じ入るほど素晴らしい名前もある。空想の花を指し示していたはずの素晴らしい名があれば、きっとその名を体現する花がどこかで咲いているようにも思える。こういう「何でも起こっている」という類の考えは嫌いじゃない。先述の本に載っている花の中では雪餅草と座禅草が好きで、前者は美術館の庭園で咲いていたのを館員の方に見せてもらったのがきっかけで好きになり、後者は写真でしか見たことがないけれどもどこか建造物然としているのが良い。思わず足を止めたくなるような。ホトケノザも好きだ。祖父の家の今は何も育てていない畑一面に花が咲いて淡いピンクに染まると春だな、と思う。余談だけれど、神代植物公園の温室には「ムニンフトモモ」という植物があったと思う。体の部位をその名に冠する植物を展示したらバラバラの死体がその部位に対応する花の箇所に埋まっていたなどというホラーがあったら嫌だ。

 数年前から苔の図鑑をたまに開くようになって、散歩するのが更に楽しくなった。苔が街中にこんなにありふれていて、こんなに多様性に富んでいるとは知らず、図鑑を読んでから散歩の価値観が変わったと言っても言い過ぎじゃないと思う。多分、たまたま僕が苔が好きなだけで、例えばファッションに興味を持っている人は、同様の理由で人が多いところはとても楽しいんじゃないか?と考えたりする。*1父は車が好きで、PAで人の車をしげしげと眺めていたりする。色んな場所で人それぞれの純粋な楽しみがあって、そういう喜びを分け合えたら幸せだと感じる(数学に対してもそう感じている、と思う)。とにかくは、これから花の本を読みながら散歩したり、紅葉狩りをするのが本当に待ち遠しい。

 昔から誰かと一緒に散歩していて楽しいと思えるような人になりたいという思いがあって、そのためにはまず会話のキャッチボールを成立させないといけないのだけれど、何というか、自分は(野球をちゃんと続けていた時もそうだけれど)コントロールが悪くて、軟式野球特有の反応に困るショートバウンドをよく放ってしまう。たまに会話で無意識にそこにいない知り合いを長々と話題にしてしまうことがあり、これは反省したい。せっかくの会話にそこにいない人について長々と話をするべきではないというか、話が宙ぶらりんになってしまう。

 蛇足として、数学については、セミナーの勉強にこれからは重点を置きたい。代数幾何の、その言葉を用いた議論については慣れたと思いたいけれど、個別の技法については未だ一冊の本すら満足に理解していない 

 今日は本屋で明るい記憶喪失の2巻を買った。面白い!

 

*1:なので人間はちゃんとそれぞれの数学を纏っていてほしい、とは思わないけれども

日記9/26

 まだ蝉の声がまばらに聞こえて、昼になると蝉と蟋蟀が一緒になって鳴いている。夏休みが終わった。今月は漫画ばかり読んでいた気がする。将来的に死んでくれ、CITY、波よ聞いてくれ、ふたりモノローグ、明日ちゃんのセーラー服、あの娘にキスと白百合を、メイドインアビス、ショートケーキと加瀬さん、ゆゆ式、ふたりべや、月曜日の友達、はるかなレシーブあたりを先月末から読んでいた。この中ではCITYと月曜日の友達とメイドインアビスゆゆ式が飛び抜けて面白かった。読み終えるのに数日かかる漫画はだいたい好書に分類する傾向にある。数学書については夏季休暇の間は専攻から少し外れた本を読もうと思い立って、院試が合格発表まで終わった九月初旬から先週末に掛けてEtingofらの表現論の入門書と村上先生の結び目と量子群を読んだ。前者は入門書としてふさわしかったのかは知らない(序盤の誤植含む不備は多かったように思う)がともかく表現論について全く知らないという状態から脱却できたのは良かったと思う。後者については雰囲気を知りたいと思っていた量子群について、目的通り雰囲気を知れたのでこれも良かった。ただ普遍R行列のくだりはまたの長期休みに詳しい教科書を読んで深く知りたいと考えている。やりたいと感じた分野の本なり論文なりの証明が理解できないままなのは辛い。ところで自室のField Arithmeticが早くも威圧的なオブジェと化している。早くPACとモデル理論の関連の部分を読みたいが、先に言った通り今は深く体論をやるというより色々な分野を勉強したいという欲が強い(ブログのタイトルに早くも背いている)。これからは興味が無数の方向に発散して後々後悔することを意識的に避けねばならないのかも知れない。それ以外には友人から貰った梨木香歩の「家守綺譚」を読んだ。同じ著者の「f植物園の巣穴」も面白かったけれども、前者の方が現実と虚構の間*1の雰囲気が好みなのと、植物の名前に興味を持ち始めてから出会った植物がたくさん登場して嬉しかった。とってつけた説明としては:ストリートでは証明は正しさよりもリズムが大事なので、間違った一般化でも韻がよければ(そしてウケれば)それを吟じることが推奨されています。いちばん駄目なのは予め記憶している主張を適当に諳んじることで、ストリートならではの魂が籠っていない、死んでいる主張と見なされてその場でリンチされます。そういう風潮を嫌って「Counterexamples in Street Mathematics」がDover Booksから出版されたりしましたが、ストリートもむろん間違った数学を好んでいる訳ではないのでちゃんと主張をせず、相手に反例を返された場合はその場でリンチされます。つまりは「間違った主張を見過ごす方が悪い」というのが彼らの共通の認識なのでしょう。怖いですね。

 

*1:これは「あわい」と読ませたい、と意識して初めてもしかしたら色々な小説の「間」は「あわい」と読ませたかったんじゃないかな?と思った。しかしルビを振るのもなんだか恥ずかしい。

日記9/13

 睡眠から覚醒への接続がだいぶ滑らかになったようだが、同時によく寝たという感覚が薄れているとも思う、もしかするとこのまま平らになってしまうのかもしれない。いや、眠りに落ちている感覚があっても眠りから覚める感覚が余りないので、もしかすると日々落下している。久しぶりの阿部共実の新作「月曜日の友達」はとても面白かった。つい最近、久しぶりに平沢進TMGE(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)の音楽を聴いた。高校生になって直ぐ、平沢進の曲を初めて聴いたとき、音そのものも去ることながら*1、第一印象としては歌詞の(言葉の)接続、またいわゆる言葉遣い、が強烈に残っている。今までに組み合わせたことのない言葉たちの口触りの滑らかさに驚き、幾度か歌詞を反芻したり歌ってみたりした(同級生に平沢進戸川純が好きな友人が居たことが大きく影響している)。おそらく平沢進を知った次の年にTMGEを知り、この時も同様の理由で感動を覚えた。今でも「苺のなる木を燃やして暮らすよ」という言葉*2のどうしようもなさはすごい好きで、時折ふと頭に浮かぶことがある。まず苺のなる「木」というのは少し違和感があるし、加えて「燃やして暮らす」という文章も意味がはっきりとしない、それでも音の繋がりは本当に良くて、歌として聞いていたらなるほどと思ってしまう。話は脱線するが、苺はバラ科でバラ科といえば「木」(木立バラ)でもいい気もする。ちなみに「イチゴノキ」という苺に似た実をつける木があって、これはツツジ科。

 で、この二組のアーティストたちに共通項を見出そうというつもりはさらさらなかったが、僕が好きな数少ないアーティストなので何らかの共通点があってもおかしくはないな、と考えないでもない。平沢もTMGEも歌詞のなかで展開される世界が由緒正しい元の世界に「カットアップ」を施したようなものだ、と思ったのは恐らく半年から一年くらい前のことで、カットアップという言葉を知ったのは恐らく人工知能周りを勉強している高校の頃の同級生と会ったり「コンピュータが小説を書く日」という本を読んだことがきっかけだったと思うが、実のところを言うと今となってはこの思い込みは間違いだと感じていて、ならどうして書いているのかというとよく分からない。

 文芸のサークルに在籍していた過去も手伝ってか、たまに何らかの文章を書きたくなる時があって、そうして書き連ねた文章たちをざっと見渡すたびにいかにたくさん本を読んでも平沢のような新しい言葉の(、また言葉の音の)繋がりは生まれないだろう、と感じる。適当な文章をそれこそカットアップして、まるで砂漠で与えられた砂粒一つを探すように、カットアップされたものから良い文章を苦労して選び取るようなことをすれば良いのではないかと思わないでもない。そのようにして選び取られた文章は完全に「自分よりも外」から来たものだ。もちろん本を読んで見た、覚えた文章だって自分から湧いて出たわけではないが、平沢の(世界観は抜きにして、文章そのもののみを見た際の)歌詞の繋がりと言葉選びに対して抱いている茫漠たる「異言語感」はここまでしないと(そしてそこまでしても)発見できないと思う。どうすれば行く列車の塵は砂丘に文字を書くのだろうか*3

 そういえば先日の日記に書いた「動物の糞に生える苔」はオオツボゴケだった。

 追記:最近は「虚ろである」と言う事に敏感になっていて、それが上の共通項にある程度の回答を与えているようだと勝手に納得している。これ以上の説明はなし。

*1:音についての言葉をよく知らないので賞賛することもできない

*2:strawberry gardenという曲の一節

*3:"百年彼方の空より見守る"と